平山三紀 / 真夏の出来事 (1971年)
1971年 シボレー・コルベット C3 スティングレー
長いあいだ秘密のヴェールに包まれていた作曲家・筒美京平。あまりにも多作、そのすべてが傑作。時代を変える名曲。しかも本人は表舞台に全く出てこない。音楽のJ.S.バッハや文学のシェークスピアが実は作家集団のプロジェクトだという説にちなんで、筒美京平は実際にはいない、ということを言う人さえいた。
しかし、2005年にBSフジで放送されたシリーズ「HIT SONG MAKERS ~栄光のJ-POP伝説」の第1回にその筒美京平が登場。これはまるでヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがテレビ番組で自分の作品を語るのと同じくらい衝撃的な事件だ。前編、後編の2回に分けそれぞれ1時間、計2時間にわたる放送では、生い立ち、音楽について実に多くの示唆に富む発言を行った。この放送を見た衝撃は忘れない。日本の歌謡曲とはこういう成り立ちだったのか、と初めて気づく。繰り返し、繰り返し何度も見返した。この作品はDVDで発売され、2020年、筒美京平さんの死を悼んで再放送も行われる予定だ。
筒美京平は、作曲だけでなく編曲・アレンジの才能が卓越している。まず、歌手の声質、歌い方を最大限引き出す端正なメロディーラインをつくる。そしてそのメロディーの魅力を最大限引き出すアレンジを施す。「真夏の出来事」は曲、歌手、アレンジの魅力のピークが重なった傑作だ。この曲がリリースされた1971年は「また逢う日まで」(阿久悠)「さらば恋人」(北山修)「17才」(有馬三恵子)という日本の歌謡史に残る名曲を同時に発表した年だ。
先述の「HIT SONG MAKER」で筒美京平は、歌手平山三紀の声に強く惹かれ、この曲を書いたという。作詞は橋本淳。「ブルーライト・ヨコハマ」の宿命のコンビだ。橋本は青山学院大学の先輩で、筒美を音楽の世界に引き込んだ人物だ。橋本は当時グループサウンズの作詞で成功していたが、筒美京平が何とか食っていけるように、、と仕事をまわしているうちにみるみる実力をつけ、インタビューで私の人生は筒美京平先生に支配されている、と語った。
「朝のつめたい風は、恋の終わりを知っていた」
当時の歌謡曲としては信じられない16ビートの先進的サウンドに乗せた、私小説風の少し時代がかった歌詞。この、人々より「半歩先」を行く感覚。これが当時の日本人の心をつかんだのだろう。
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