ハンク・モブレー / A CADDY FOR DADDY (1965年)
キャデラック DEVILLE 第3世代 1965~70年
1965年録音。写真のキャデラックは65年にフルモデルチェンジ。バリバリの新車ということになる。「キャディー・フォー・ダディ」~お父さんにキャデラック。プレゼントされるダディーになりたい。キャデラックが最も豪華であった時の一台。印象的なタテ目4灯。排気量7,000cc・340馬力。ジャケットの写真とデザインはブルーノートのアルバムデザインを400枚以上手掛けたリード・マイルス。
リー・モーガンとカーティス・フラーを加えた3管。ピアノは先日亡くなったマッコイ・タイナー。ボブ・クランショーのベースにビリー・ヒギンスのドラム。豪華メンバーだ。ハンク・モブレーはあくまでもマイペースで、華やかではないが、やわらかい包容力のある音色が心地よい。村上春樹さんは「BLUE NOTE 私の10枚」という寄稿でこのアルバムを選び「何ものにも代えがたいイモっぽさ」と評したが、確かに素朴さを感じる真面目なテナーはその通りかもしれない。
ハンク・モブレーはブルーノートに「Dippin’n」(1965年)「Soul Station」(1960年)という絶大な人気を持つ作品を残し、これは間違いなく傑作であるが、それでも地味なアーティストの扱いだ。敬愛をこめて「テナー・サックスのミドル級チャンピオン」「愛すべきB級テナー」と呼ばれることが多いが、彼の不幸はマイルス・デイビスの「Somedey my price will come」(61年)でのコルトレーンとの共演にある、という指摘は正しいだろう。マイルスに続く彼のソロは悪い出来ではなかったが、ウィントン・ケリーを挟んで最後に出てきたコルトレーンの演奏が超絶的。様々なとらえ方があるだろうが、同じ楽器を扱っているのにその差は歴然で、不幸にも「さらし者」的扱いになってしまった。残酷な話ではある。しかし当のモブレーは気にしなかったことだろう。マイペースを貫きこの作品を含め上記の傑作を生みだした。この後肺の障害で活動が制限され55歳の若さで世を去ったのは実に残念だ。
このアルバムのライナーノーツに一番最後に、スイング・ジャーナル誌への寄稿でも知られる世界的ジャズ評論家のアイラ・ギドラーがこう書いている。
A Caddy for Daddy ? This man deserves a Mercedes!
お父さんにキャデラック?この男はメルセデスに値する! – IRA GITLER
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