ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ (1997年)
フォード・カスタム1951年型
もしかしたらこのクルマはソビエト製なのか?
アメリカによる完全な貿易封鎖はキューバ危機の1年半前の1961年4月25日に実施される。ハバナ市内を走る古いアメリカ車はこれより前に輸入されたものだ。
右側に写る印象的なクルマがアメリカ製であることは疑わなかった。ボディーの側面が完全にフラットでフェンダーが盛り上がっていない「フラッシュサイド」はビックスリーの戦後型の特徴で、生産は体制が整った1948年以降だ。フロントガラスは左右分割型となっているが、1954年ころにはほぼ一枚ガラスの曲面フロントガラスへ移行している。したがって、この間の5~6年の狭い範囲に製造されてクルマだ。
ひじょうに特徴的なのはヘッドライト周りで、装飾的な曲面がない平べったい場所にポンと取り付けられた感じで、ライトの下部にはパーキングランプ等が無くボディー鉄板がそのまま露出している。このようにヘッドライトの下が「空き」になっているクルマはたいへん珍しく、たいていライトの下にはクロムの装飾が施されているものだ。
当時のクルマの写真をチェックしていくと、いくら探してもこの写真にマッチするクルマが出てこない。本当にいくら探してもない。謎だ。調べると貿易封鎖後はソビエト製のクルマもかなり入ってきているという。これは古いヴォルガかモスクヴィッチなのか?いや、そんなことがあるのだろうか?
模索を続けていると解決の糸口見つかった。1950年~60年代のクルマの写真集を多く出版されている浅井貞彦さんがWEB上でその貴重な写真を紹介している。とても素晴らしい仕事だ。その中の1枚のフォード車の高解像度の写真に目が釘付けになる。当時のフォードのオリジナル車両はヘッドライトの下にはパーキングライトを収めた装飾部品が装着されていて、どうもこの部分の取り外しができるようだ。
改めてアルバムの写真を詳しく見るとちょうど合致する場所に分割ラインがある。このクルマは何らかの理由でヘッドライト下~グリルの横の部品を取っ払ったのだ。結果としてそこに装着されているパーキングランプは居場所を失うが、よく見るとグリルの中に無理やり固定されているのが見える。なるほどそういうことだったのか。
このクルマは1951年型のフォード・デラックス、あるいはフォード・カスタムだ。すべての部分の形状が完全に合致し、グリルの形状から年式は51年型と特定できる。エンジンの違いにより直列6気筒の「デラックス」とV型8気筒の「カスタム」の2つのラインナップがあるが、ボディーサイドにかすかに見えるクロムのラインよりV8のカスタムと推定する。オリジナルにはヘッドライトの周りには分厚いクロームのリングがあるが、写真のクルマでは脱落しているため印象がだいぶ異なる。これがなかなか発見に至らなかった理由でもある。彼らが苦労しながら古いクルマを乗りつないでいく様が目に浮かぶ。ここでも1台のクルマは多くのことを語る。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」。歴史に残る名作。ライ・クーダーがこのアルバムを世に出したのが1997年。ドキュメンタリー映画がヒットしたのは2000年。約20年の月日。もうそんなにたつのか。明るさの中に哀愁を帯びた曲がたくさん詰まったこのアルバムを聴き、過ぎ去りし20年の月日を想うと胸が締め付けられる。
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